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5月, 2017の投稿を表示しています

4. 網野善彦『歴史を考えるヒント』

日本という国の名前が決まったのはいつか。この素朴な問いに答えられない人は多いだろう。ぼくもそうだ。ではどうして答えられないのか。学校で使われてきた日本史の教科書がけしからんのではないか。しかしそれを問う前にまず、日本について知る必要があるだろう。  この網野善彦による『歴史を考えるヒント』については、 石村清則 や 當山日出夫 、 木偶 、 hachiro86 など数々のレビューがすでにネット上にあるので、ぼくがわざわざ書くこともないかもしれない。だから網野善彦の本を今回初めて読んだという、網野史学ど素人のぼくは、ただ思いついたことをだらだらと書く。  そもそもぼくがこの本を知ったきっかけは この動画 で取り上げられていたからである。そこでは網野善彦の本文と與那覇潤の解説の内容を、東浩紀と河村信が褒めていた。それを見たかつてのぼくは、早速Amazonで注文したものの、積読(つんどく)状態になっていたのだ。今回本書を手に取った理由は、最近山本七平の『現人神の創作者たち』を少し読んでいて、日本について興味があったからだ。  結論から言うと、『歴史を考えるヒント』はとてもおもしろく、ぜひ多くの人に薦めていきたいような本である。1997年に新潮社主催で行った連続講座での内容をまとめたということもあり、読者に優しく語りかけるような文章で、大変読みやすかった。一方で内容はというと、「百姓」ということばには本来「農民」の意味はなかったとか、13世紀以降の農本主義と重商主義の対立とか、衝撃的でありかつ日本史に対して別の見方を示すものであり、自分が知っていたことと全く違う世界に出会うという読書の醍醐味を味わった気がした。  網野はまず、「日本」という国名についてから話を始める。「日本という国名が決まったのはいつなのかといいますと、現在の大方の学者の認めるところでは、浄御原令(きよみはらりょう)という法令が施行された689年とされています。」(15頁)対外的には、それまで「倭」と言っていたのが、702年に遣唐使の粟田真人(あわたのまひと)が当時の周の皇帝・則天武后に対して「日本」の使いであると述べた。  ここで、「日本」ということばの意味について考える。「日本」ということばの背後には、ほぼ確実に「日出づるところ」という意味がある。この「日出づるところ」とは東の方角のこと

3. シェイクスピア『マクベス』

ダンカン王が殺された。その犯人は、マクベス。3人の魔女の予言に呪われたスコットランド王の悲劇。  正直に白状すると、ぼくは小説や戯曲など文学の類をほとんど読まない。子どもの頃からそうだった。  だが評論や随筆などを読んでいると、往々にして文学的な教養を求められることがある。たとえば「マクベス夫人の手にこびりついた血のように、『アカなるもの』は消去不可能なものとして、この貴公子の目には映っていた」(白井聡『永続敗戦論』225頁)という比喩。  このような表現を理解したり、さりげなく使えたりすると、単純にカッコいい。またそのハイカルチャー的な世界に興味がある。だから少し教養を高めるためにも、今回はシェイクスピアの四大悲劇うち最も短い『マクベス』を読んでみた。  『マクベス』のあらすじを簡単に記す。 テオドール・シャセリオー 画, マクベスと3人の魔女, 1855年  スコットランドの武将マクベスとバンクォーは、手柄を立てて帰還する道すがら3人の魔女に出会う。彼女らはマクベスを「コーダの領主様!」「いずれは王ともなられるお方!」と呼ぶ。一方のバンクォーには「子孫が王になる、自分がならんでもな」と告げる。その後マクベスは、ダンカン王からコーダの領主に任ぜられ、魔女たちの予言が当たる一方で、王は自身の息子マルコムが王位継承者であると公表する(第1幕)。  王になるという魔女の予言にとらわれたマクベスは、夫人にそそのかされつつダンカン王を暗殺し、新しい王になる。ダンカンの息である二人、マルコムとドヌルベインは、安全を求めてイングランドとアイルランドにそれぞれ逃れる(第2幕)。  やがてマクベスは、かつて魔女に「子孫が王になる」と言われたバンクォーが怪しくなり、2人の刺客にバンクォーとその息子フリーアンス殺害を命じる。刺客らはバンクォーを仕留め、フリーアンスは逃がす。その知らせを聞いたマクベスはひとまず安心するも、宮中大広間での晩餐会で、死んだはずのバンクォーの亡霊が自分の席に座っているのを見て発狂する(第3幕)。 テオドール・シャセリオー 画, バンクォーの亡霊, 1854年  心の安定が得られないマクベスは、洞窟で3人の魔女に予言を乞う。すると釜から3つの幻影が現れてこう言う。「気をつけろよ、マクダフに、気をつけろ、ファイフの領主に

2. 立花隆『政治と情念』

角栄を奪い合う二人の女、眞紀子と佐藤昭。田中眞紀子とは何だったのか。佐藤昭とは何者か。田中角栄とは――。  日本の戦後政治は、ほぼ自由民主党に牛耳られてきた。いわば、ブロンデルのいう「優越政党を伴う多党制」、あるいはサルトーリのいう「一党優位政党制」である。  その戦後日本政治で絶大な存在感を示すのが、政治家・田中角栄である。  角栄は何をしたのか。  彼は、日本の総理大臣になった――。  最終学歴は高等小学校卒業(夜間の専門学校である中央工学校も卒業しているが、庶民アピールの意味も込めて高小卒としていた)でありながら、1957年に39歳で郵政大臣、62年に44歳で大蔵大臣、65年に自民党幹事長、71年に通産大臣に就任し、そして72年、54歳で総理大臣にまで上り詰めた。  宰相の地位に就くために、角栄はカネの力を存分に利用した。立花隆によると、72年総裁選の多数派工作のために使った総額は80億円だそうだ。その際、自身の政治資金団体で集めたお金の他に、保有不動産の売却、例えば東京電力に柏崎刈羽原発用地を売却するなどして、莫大な政治資金を捻出した。  興味深いのは、のちに首相になる中曽根康弘もこの総裁選への出馬を予測されるも、日中国交回復を果たすことを条件にいち早く田中支持にまわり、結果角栄を勝利に導いたのであるが、その際に7億円で買収されたのではないかということだ。中曽根は自身の回想録で、その際の金銭の授受を否定するも、立花は、7億円という金額はともかく、カネを全く貰わなかったというのはありえないという。そしてこの貸し借りは10年もの歳月を経て、82年総裁選に、角栄の支持を得て予備選を勝ち抜いた中曽根が総理の座に就くことで清算された。  コッポラの映画『ゴッドファーザー』では、冒頭にマーロン・ブランド扮するドン・コルレオーネに願い事を頼みに来た男が、お返しにいつか頼みを聞くという約束をして、何十年か経った後、「約束」を果たすためライバルのマフィアの親分の襲撃に加わり死んでいく。 「政治における借りと貸しの清算は、この話に近いところがあるんです。すぐには清算はせまられないが、何年も何十年もたってからせまったりせまられたりするということです。」(140頁)  彼は、日本を土建国家にした――。  角栄といえば、『日本列島改造論』を挙

1. つんく♂『「だから、生きる。」』

ぼくは、つんく♂の作る曲が大好きである。乙女チックな日常と、地球、宇宙、世界、人生、平和、歴史、愛とが繋がっている歌詞。たとえそれがいくらデタラメでも、自在に操られたメロディーとリズムとハーモニーで、たちまちつんくワールドへ吸い込まれてしまう。  2015年4月4日、母校・近畿大学の入学式にサプライズとして現れたつんく♂は、喉頭がんの手術で声帯(喉頭)を全摘し、声を失ったことを初めて明かした。このニュースはテレビや新聞などで大々的に取り上げられ、ぼくもその日のNHKニュースですぐに知り、衝撃を受けた記憶がある。  つんく♂といえば、シャ乱Qのボーカルで、彼がプロデューサーとして手掛けたモーニング娘。などのアイドルが、今世紀初頭に一世を風靡したことは、現在20代以上の日本人なら誰もが知っていることだろう。  そんなつんく♂が、2014年の10月に声を失ったのだ。なんという悲劇。あんなに歌にこだわりを持っていたつんく♂が、もう永遠に歌えなくなるとは。  本書は、つんく♂が2014年の2月に喉頭がんの診断を受けてから、トモセラピーによる放射線治療、分子標的薬による抗がん剤治療、完全寛解(かんかい)宣言、喉頭全摘手術、近畿大学入学式までの一連の過程について記されている。同時に、1992年の上京からモーニング娘。の誕生、ハロー!プロジェクトの発展、井出加奈子との出会いから結婚、父親になり子育てに勤しむ様子など、彼の前半生が笑いあり涙ありで綴られている。ハロヲタ(ハロプロのファン)ならぜひ一読すべき内容だろう。  そういうぼくもハロヲタの一人なのだが、本書で見つけた興味深いエピソードをいくつか紹介しよう。  まず一つ目は、スマイレージ(現・アンジュルム)のインディーズ3rdシングル「スキちゃん」の歌詞について。結婚して子どもを持ったつんく♂は、「妻は家を守って」という守旧的なスローガンから「ジョンとヨーコみたいに」へと、子育てに積極的に関わり家族との時間を増やすという「人生レボリューション!」を果たした。それから「たまの休日にフードコートでラーメン食って、スーパーで買い物してポイントためるのも、実はロックじゃないか! といつの間にか思うようになっていた」(156頁)らしく、「フードコート」という言葉が歌詞に入ったとのこと。またモーニング娘。の「気まぐれプリンセ

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こんにちは。ぼくはしょーちゃんといいます。 このブログは主に、ぼくが読んだ本についてあれこれ書くブログです。 これからどんな本を読むか決める際に、あるいは読み終わった本が他人にはどう受け止められているのかを知る際などに、参考になれれば幸いです。 よろしくお願いします。 平成29年5月5日 しょーちゃん