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2. 立花隆『政治と情念』

角栄を奪い合う二人の女、眞紀子と佐藤昭。田中眞紀子とは何だったのか。佐藤昭とは何者か。田中角栄とは――。

 日本の戦後政治は、ほぼ自由民主党に牛耳られてきた。いわば、ブロンデルのいう「優越政党を伴う多党制」、あるいはサルトーリのいう「一党優位政党制」である。
 その戦後日本政治で絶大な存在感を示すのが、政治家・田中角栄である。

 角栄は何をしたのか。

 彼は、日本の総理大臣になった――。

 最終学歴は高等小学校卒業(夜間の専門学校である中央工学校も卒業しているが、庶民アピールの意味も込めて高小卒としていた)でありながら、1957年に39歳で郵政大臣、62年に44歳で大蔵大臣、65年に自民党幹事長、71年に通産大臣に就任し、そして72年、54歳で総理大臣にまで上り詰めた。
 宰相の地位に就くために、角栄はカネの力を存分に利用した。立花隆によると、72年総裁選の多数派工作のために使った総額は80億円だそうだ。その際、自身の政治資金団体で集めたお金の他に、保有不動産の売却、例えば東京電力に柏崎刈羽原発用地を売却するなどして、莫大な政治資金を捻出した。
 興味深いのは、のちに首相になる中曽根康弘もこの総裁選への出馬を予測されるも、日中国交回復を果たすことを条件にいち早く田中支持にまわり、結果角栄を勝利に導いたのであるが、その際に7億円で買収されたのではないかということだ。中曽根は自身の回想録で、その際の金銭の授受を否定するも、立花は、7億円という金額はともかく、カネを全く貰わなかったというのはありえないという。そしてこの貸し借りは10年もの歳月を経て、82年総裁選に、角栄の支持を得て予備選を勝ち抜いた中曽根が総理の座に就くことで清算された。
 コッポラの映画『ゴッドファーザー』では、冒頭にマーロン・ブランド扮するドン・コルレオーネに願い事を頼みに来た男が、お返しにいつか頼みを聞くという約束をして、何十年か経った後、「約束」を果たすためライバルのマフィアの親分の襲撃に加わり死んでいく。
「政治における借りと貸しの清算は、この話に近いところがあるんです。すぐには清算はせまられないが、何年も何十年もたってからせまったりせまられたりするということです。」(140頁)

 彼は、日本を土建国家にした――。

 角栄といえば、『日本列島改造論』を挙げる人が多い。国土計画を策定し、全国に道路・鉄道網を敷くという構想は、否定的な意見も含めて、現在にまで影響力を持つ壮大なビジョンだ。
 しかしそれ以前に1953年、角栄は「道路整備費の財源等に関する臨時特置法」を議員立法で成立させ道路族の元祖となり、ガソリン税を道路整備費にしてしまったことを忘れてはならない。
 それとともに54年以降、5年ごとに道路整備五ヵ年計画が策定され続け、モータリゼーションの進展とともに税額は膨れ上がった。「戦前の日本は、国防予算に税金をたれ流して、日本を国防国家にしてしまったわけですが、角栄以後の日本は、土建事業中心の公共事業に国防費以上の税金をたれ流して、日本を土建屋国家にしてしまったわけです。」(182頁)
 その後この道路特定財源は、小泉改革と民主党政権下で見直され、2009年にようやく廃止された。
 また、日本の農業、特にコメ農業に関しても、角栄的なバラまき政治が根づいていた。コメの一部自由化を認めたウルグアイ・ラウンドの対策費には、6兆円ものカネがバラまかれた。戦後の食糧管理法による米価の生産費補償方式の下で、日本の農民は依存心だらけになってしまった。それが95年の食糧法の施行まで続く。
 もしかしたら、小泉進次郎がいま取り組んでいる農業問題の淵源も、ここにあるのかもしれない。
「日本人はどうも悪いくせがあって、親方日の丸だということになると、ムダ金使い放題になるのはまだいいほうで、なんだかだと理屈をつけては、公金を自分のものにしてしまう税金ドロボーのたぐいがやたら出るんです。この国では、公金横領、汚職の根っこがいたるところにあるんです。」(170頁)
 立花隆が指摘する、この「たかり根性」とでも言うべき日本人の性質は、大衆の角栄礼賛の背後にある一側面であろう。21世紀の我々は、一度自らのこの気質と真摯に向き合う必要があろう。

 彼は、佐藤昭を愛した――。

「政治を支配しているのは情念なんですよ。表面的には、政策論争とか、イデオロギー論争で政治が動いているように見えるかもしれないけれども、もっと下のほうで政治をつき動かしているのは、人間の情念の世界のドロドロですよ。だからこそ、政治には、小説より面白いという側面があるわけですが、田中のように、人なみはずれて情念の動きがはげしかった人物の場合は、それが特に顕著に見られるわけです。しかもそこに女がからんでくるということになると、いっそうすごいことになるわけですが、そのあたりはまた先にいって述べることにします。」(72頁)

 角栄には何人もの秘書がいた。その筆頭は、角栄のスポークスマンであった政務担当の早坂茂三、特殊な金脈に関わっていた山田泰司、そして「越山会の女王」と呼ばれた金脈秘書であり角栄の愛人・佐藤昭である。
 彼女は52年に角栄の秘書となってから、ずっと彼と二人三脚でやってきた。角栄との間には娘もいる。角栄は彼女を分身として使い、数々の政治的修羅場も切り抜けていった。74年の田中金脈問題による首相退陣、76年のロッキード事件の発覚・逮捕、77年にロッキード裁判が始まってからも、佐藤昭は角栄を支え続けた。
 しかし85年2月7日、竹下派の創政会が旗揚げされると、角栄は毎日浴びるようにウィスキーを飲み続けるようになり、旗揚げから20日後の2月27日に脳梗塞で倒れた。その後は病院から自宅へ引き取られ、眞紀子の完全管理下に置かれてしまう。それから佐藤昭は、早坂秘書らと同様に、角栄に一切会えなくなってしまった。

 立花は、眞紀子は「典型的なファザコン」だという。この、父親に対する思慕の念の強さが反対に振れた結果として、眞紀子は「父親を殺した連中」つまり竹下派(創政会・経世会)を強烈に敵視するようになった。また同時に、角栄と男女の関係以上の関係にある佐藤昭に嫉妬していた。
 そして壮絶な晩年。角栄は、重度の糖尿病のために壊死してしまった両足の付け根から下をバッサリ切断した。角栄死去の際は、細川総理、土井衆議院議長、河野自民党総裁のみの死後対面で、早坂秘書や佐藤昭は面会すらさせてもらえなかった。
 角栄とその周囲の人物たちは、悲劇の人生だった。

 本書は2002年に『「田中真紀子」研究』として単行本で出たものであり、立花は眞紀子のこれからについて、批判しながらも評価もしている。眞紀子は、ストリート演説や国会での質問でも、聴衆の心をつかむ能力があったり、派閥中心の党運営を否定するような新しいタイプの政治家である一方で、父親のように官僚を使いこなすことができない、歪んだ性格ゆえにチームプレーができないなどの欠点もあるという。
 その後の眞紀子はといえば、2009年に民主党入りを果たし、野田政権の末期の2012年に文科相になって、大学不認可騒動を引き起こしたのが記憶に新しい。この騒動は結局、眞紀子が折れる形になったが、大学の数が多すぎて教育の質が低下しているという、彼女の問題意識に共感する人も多いと聞く。
 2012年の参院選で落選して以降は、政界から姿を消している。

 昨年、一昨年あたりから、書店で田中角栄に関する本をよく目にするようになった。石原慎太郎の『天才』や田中角栄語録の類である。
 ではなぜ、いま田中角栄なのか。田原総一朗はこう指摘する。

「今、田中角栄ブームが起きているのは、現在の政治に構想力が足りないせいだろう。アベノミクスの第1の矢の「金融政策」と、第2の矢の「財政政策」が奏功して、株価が上がった。しかし、第3の矢である「成長戦略」のための構造改革は進んでいない。構造改革は、改革した後どうするのかという構想が必要なのに、そこを描き切れないからだ。」(田原総一朗公式サイト

 いまの政治に、かつて角栄が打ち出したような構想はあるかといえば、確かに抜けているように感じる。というのも、超少子高齢社会、人口減少社会において、明るい将来のビジョンなんて大して描けないだろうから無理もない。国民の政治への失望感や無関心、知識人のシニシズムはこれからも増していくだろう。
 もしかすると、安倍政権下での2020年東京五輪と憲法改正くらいしか、沈みゆく我々がいま持てる希望はないのかもしれない。

書誌情報

『政治と情念 : 権力・カネ・女』
著者:立花隆
発行者:飯窪成幸
発行所:株式会社文藝春秋 文春文庫
2005年8月10日 第1刷
印刷:凸版印刷
製本:加藤製本
ISBN:978-4-16-733018-7
なお、マイケル・ウォルツァーにも同名の邦訳書(Politics and Passion: Toward A More Egalitarian Liberalism)があるが、本書とは全く関係ないのでここで断っておく。

関連書籍

立花隆『田中角栄研究』
早坂茂三『鈍牛にも角がある』『駕篭に乗る人担ぐ人』『オヤジとわたし』『政治家 田中角栄』『田中角栄回想録』
佐藤昭子『私の田中角栄日記』
早野透『田中角栄』
大下英治『実録 田中角栄』

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