スキップしてメイン コンテンツに移動

3. シェイクスピア『マクベス』

ダンカン王が殺された。その犯人は、マクベス。3人の魔女の予言に呪われたスコットランド王の悲劇。

 正直に白状すると、ぼくは小説や戯曲など文学の類をほとんど読まない。子どもの頃からそうだった。
 だが評論や随筆などを読んでいると、往々にして文学的な教養を求められることがある。たとえば「マクベス夫人の手にこびりついた血のように、『アカなるもの』は消去不可能なものとして、この貴公子の目には映っていた」(白井聡『永続敗戦論』225頁)という比喩。
 このような表現を理解したり、さりげなく使えたりすると、単純にカッコいい。またそのハイカルチャー的な世界に興味がある。だから少し教養を高めるためにも、今回はシェイクスピアの四大悲劇うち最も短い『マクベス』を読んでみた。

 『マクベス』のあらすじを簡単に記す。
テオドール・シャセリオー 画, マクベスと3人の魔女, 1855年

 スコットランドの武将マクベスとバンクォーは、手柄を立てて帰還する道すがら3人の魔女に出会う。彼女らはマクベスを「コーダの領主様!」「いずれは王ともなられるお方!」と呼ぶ。一方のバンクォーには「子孫が王になる、自分がならんでもな」と告げる。その後マクベスは、ダンカン王からコーダの領主に任ぜられ、魔女たちの予言が当たる一方で、王は自身の息子マルコムが王位継承者であると公表する(第1幕)。
 王になるという魔女の予言にとらわれたマクベスは、夫人にそそのかされつつダンカン王を暗殺し、新しい王になる。ダンカンの息である二人、マルコムとドヌルベインは、安全を求めてイングランドとアイルランドにそれぞれ逃れる(第2幕)。
 やがてマクベスは、かつて魔女に「子孫が王になる」と言われたバンクォーが怪しくなり、2人の刺客にバンクォーとその息子フリーアンス殺害を命じる。刺客らはバンクォーを仕留め、フリーアンスは逃がす。その知らせを聞いたマクベスはひとまず安心するも、宮中大広間での晩餐会で、死んだはずのバンクォーの亡霊が自分の席に座っているのを見て発狂する(第3幕)。
テオドール・シャセリオー 画, バンクォーの亡霊, 1854年

 心の安定が得られないマクベスは、洞窟で3人の魔女に予言を乞う。すると釜から3つの幻影が現れてこう言う。「気をつけろよ、マクダフに、気をつけろ、ファイフの領主に。」「高の知れた人間の力など、鼻の先で笑ってやれ、マクベスを倒す者はいないのだ、女の生み落した者のなかには。」「マクベスは滅びはしない、あのバーナムの大森林がダンシネインの丘に攻めのぼって来ぬかぎりは。」これで安心できるかと思いきや、バンクォーによく似た8人の王の影と彼らを指さして笑みを浮かべるバンクォーの亡霊が現れ、彼の子孫が王座を継いでいくことが示唆される。そして魔女は消える。そこへマクダフがイングランドへ落ち延びたことが知らされ、マクベスはマクダフ夫人とその息を殺害する。その報をイングランドで聞いたマクダフとマルコムは、イングランド王と共にマクベス打倒を決意する(第4幕)。
 マクベスの暴君ぶりに不満を持つようになったスコットランドの貴族とその臣下たちは、マルコム、マクダフ、そしてイングランド軍のシュアードの3人の指揮によって、ついにスコットランドのマクベスのダンシネイン城に攻め入る。夢遊病に侵され自らの手から「血の臭いがする」と呟いていたマクベス夫人は、城での戦いの直前に亡くなる。それからマクベスは、使者からバーナムの森が動いているようだと聞かされ、混乱のうちに戦に臨む。「女から生まれた人間には手がつけられない」という予言を胸に、マクベスはシュアードの息を刺し殺すも、マクダフとの戦いで、彼の「このマクダフは生れるさきに、月たらずで、母の胎内からひきずりだされた男だぞ」という言葉に勇気をくじかれ、ついに殺される。そしてマルコムが新たなスコットランド王になる(第5幕)。

 より詳しいあらすじは、ウィキペディアなどを参考に。また新潮文庫版には、福田恆存の解題が載っていて、そこでは『ハムレット』との比較を通してこの『マクベス』にある近代的なテーマを読み解いていて、おもしろい。

 少し、印象に残った部分を書き出してみる。

 まず、短い名言集。
「もう眠りはないぞ! マクベスが眠りを殺してしまった」("Sleep no more! Macbeth does murder sleep")(第2幕第2場)
「出来たことは、出来てしまったのです」(What's done is done.)(第3幕第2場)

 そして第5幕第5場、夫人の訃報を聞いた直後のマクベスの言。
マクベス あれも、いつかは死なねばならなかったのだ、一度は来ると思っていた、そういう知らせを聞くときが。あすが来、あすが去り、そしてまたあすが、こうして一日一日と小きざみに、時の階(きざはし)を滑り落ちて行く、この世の終りに辿り着くまで。いつも、きのうという日が、愚か者の塵にまみれて死ぬ道筋を照らしてきたのだ。消えろ、消えろ、つかの間の燈し火! 人の生涯は動きまわる影にすぎぬ。あわれな役者だ、ほんの自分の出場(でば)のときだけ、舞台の上で、みえを切ったり、喚いたり、そしてとどのつまりは消えてなくなる。白痴のおしゃべり同然、がやがやわやわや、すさまじいばかり、何の取りとめもありはせぬ。」(125-126頁)

 いまのぼくは蓄積の時期なので、『マクベス』のように常識として読んでおいて当然のような本も、今後このブログで紹介していきたい。
 ちなみに、上の2つの絵画の作者はテオドール・シャセリオーというフランス・ロマン主義の画家なのだが、現在国立西洋美術館でシャセリオー展が5月28日(日)までやっているので、今週時間があれば観に行きたい。


書誌情報

『マクベス』 Macbeth
著者:ウィリアム・シェイクスピア William Shakespeare
訳者:福田恆存
発行者:佐藤隆信
発行所:株式会社新潮社 新潮文庫
1969年8月30日 発行
1606年頃 執筆・初演
印刷所:錦明印刷株式会社
製本所:錦明印刷株式会社
ISBN:978-4-10-202007-4

関連書籍

シェイクスピア『ハムレット』
河合祥一郎『シェイクスピア』
阿刀田高『シェイクスピアを楽しむために』

コメント

このブログの人気の投稿

8. 柳沼重剛『ギリシア・ローマ名言集』

教養がある人とはどのような人か、という問いには様々な答えがある。ある者は古典文学や芸術、歴史について博識であることだと言う。またある者は品位や人格が優れていることだと言う。いずれにせよ教養人と見られるために多く用いられるのが、昔の作家や政治家や思想家といった有名人たちのことばである。そしてとりわけ欧米人にとっては、古代ギリシア・ローマの名言が重要であり続けた。  本書では、ギリシアとローマの337の名句について、出典や解説を付して紹介されている。前半をギリシアの部、後半をローマの部として、それぞれの名言に見出しをつけて五十音順に並べてある。ぜひ通読することをおすすめしたい。  私の気に入った格言を5つだけ書き留めておこう。 〈〖うまれないこと〗 4 人間にとっては、生まれぬこと、太陽の光を見ぬこそよけれ。 バッキュリデス『祝勝歌』第五番160〉(12-13頁)  少し病んでいるかもしれないが、感受性豊かな人は共感できる名言だと思う。齢を重ねていくと生をより肯定していき、生の終わりが近くなると逆に死を肯定するというのが、一般的な人間の死生観の変遷だと思う。しかしこれとは別に、「生まれぬこと」は幸福でありよきことであるという考えも、洋の東西を問わず存在し続けて来た。ただバッキュリデスの時代以降、ギリシアやローマ、ヨーロッパ諸国、アメリカでは、生死の議論は退いて、知の主軸はもっぱら死後の救いの話や現世でのあり方、物理世界の解明などの方向へ移っていったが、インドでは生死や苦の感覚を基に、仏教理論を発展させ、改変されながらも中国、朝鮮を経て日本へと渡来した。ところが欧米と同じく現在の東アジアでも、生死についての話題は主流ではない。 〈〖たえる〗 68 現在の難儀もいつの日かよい思い出になるであろう。 ホメロス『オデュッセイア』第十二歌212(松平千秋訳)  海上を放浪するオデュッセウスの一行が、一難去ってまた一難とつづくので、兵士たちが心身ともに疲れ果てて、絶望状態に陥ってしまったとき、オデュッセウスがこう言って彼らを励ます。〉(46頁)  いつか言ってみたいセリフだ。 〈〖きょう〗 49 (今日という)日を摘み取れ。 carpe diem. ホラティウス『詩集』第一巻11.8〉(105頁)  ロビン・ウィリアムズが...

15. 翁長雄志『戦う民意』

沖縄には戦後日本が抱える多くの問題が詰まっている。国と地方、大和と琉球、戦勝国アメリカと敗戦国日本……。とりわけ沖縄の基地問題について多くの人が考えることは、日本の民主主義の成熟につながるのではないだろうか。 今年は、非常に多くの著名人が亡くなったように感じる。亡くなった順に、私の知る範囲で挙げると、西部邁、大杉漣、スティーヴン・ホーキング、高畑勲、西城秀樹、樹木希林、小田裕一郎等々。その中の一人に前沖縄県知事の翁長雄志がいる。 私が彼の本と出会ったのは少し不思議だ。今年も8月に入り、日曜日になんとなくブックオフに入って、翁長雄志の『戦う民意』を見つけた。私は沖縄の問題を知らなければならないと思いつつ、今まで遠ざけて来たように感じ、なぜか急に向き合わなければならないという責任感に苛まれ、そのままレジに向かったのだ。そして帰宅後すぐに読み始め、ちびちびと毎日読んでいた3日目の夕方、著者の訃報を聞いたのだ。何かこれは深い因縁のようなものを感じてしまう。 それはさておき、『戦う民意』について。 この本は、他の政治家の本と同じく、翁長前知事自らの考えや出自について記されている。 沖縄の保守派の政治家の家庭に育ち、自らも保守系議員として那覇市議会議員から政治の道を歩み始めた。そして2014年に沖縄県知事に選出された。 このとき、翁長雄志は分断した沖縄を辺野古新基地建設阻止によって一つにしたいと考え、「オール沖縄」をスローガンに掲げて選挙戦に挑み、知事選挙を圧勝した。 その後は官邸へ辺野古反対の要望をしに行ったり、4度の訪米で米国政府に直接辺野古新基地建設を止めるよう訴えたりした。 さて、ここで沖縄の基地問題の歴史を振り返ってみたい。

2. 立花隆『政治と情念』

角栄を奪い合う二人の女、眞紀子と佐藤昭。田中眞紀子とは何だったのか。佐藤昭とは何者か。田中角栄とは――。  日本の戦後政治は、ほぼ自由民主党に牛耳られてきた。いわば、ブロンデルのいう「優越政党を伴う多党制」、あるいはサルトーリのいう「一党優位政党制」である。  その戦後日本政治で絶大な存在感を示すのが、政治家・田中角栄である。  角栄は何をしたのか。  彼は、日本の総理大臣になった――。  最終学歴は高等小学校卒業(夜間の専門学校である中央工学校も卒業しているが、庶民アピールの意味も込めて高小卒としていた)でありながら、1957年に39歳で郵政大臣、62年に44歳で大蔵大臣、65年に自民党幹事長、71年に通産大臣に就任し、そして72年、54歳で総理大臣にまで上り詰めた。  宰相の地位に就くために、角栄はカネの力を存分に利用した。立花隆によると、72年総裁選の多数派工作のために使った総額は80億円だそうだ。その際、自身の政治資金団体で集めたお金の他に、保有不動産の売却、例えば東京電力に柏崎刈羽原発用地を売却するなどして、莫大な政治資金を捻出した。  興味深いのは、のちに首相になる中曽根康弘もこの総裁選への出馬を予測されるも、日中国交回復を果たすことを条件にいち早く田中支持にまわり、結果角栄を勝利に導いたのであるが、その際に7億円で買収されたのではないかということだ。中曽根は自身の回想録で、その際の金銭の授受を否定するも、立花は、7億円という金額はともかく、カネを全く貰わなかったというのはありえないという。そしてこの貸し借りは10年もの歳月を経て、82年総裁選に、角栄の支持を得て予備選を勝ち抜いた中曽根が総理の座に就くことで清算された。  コッポラの映画『ゴッドファーザー』では、冒頭にマーロン・ブランド扮するドン・コルレオーネに願い事を頼みに来た男が、お返しにいつか頼みを聞くという約束をして、何十年か経った後、「約束」を果たすためライバルのマフィアの親分の襲撃に加わり死んでいく。 「政治における借りと貸しの清算は、この話に近いところがあるんです。すぐには清算はせまられないが、何年も何十年もたってからせまったりせまられたりするということです。」(140頁)  彼は、日本を土建国家にした――。  角栄といえば、『日本列島改造論』を挙...