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12. 吉村昭『三陸海岸大津波』

6年前の大震災で東北の太平洋岸一帯は津波に襲われ壊滅した。テレビではリアルタイムでがれきや泥の混じったどす黒い泥水のうねりが人家を襲う様子が映し出された。この映像を観た当時の私は、東北はなんて運が悪いのだろうと思った。ところが歴史をふり返れば、三陸海岸は昔から何度も巨大な津波に襲われてきたのだ。  2017年の大晦日である。私にとっては様々な出来事を経験した一年だった。印象深いのは、11月の初旬に岩手県と宮城県の沿岸の被災地の復興を視察したことだ。岩手県宮古市から宮城県仙台市まで車で南下したのだが、神秘的な紅葉の美しさの向こうではいたるところでショベルカーが動き、ダンプカーがひっきりなしに行ったり来たりしていた。復興事業はいまでも続いているのだ。  私と似たようなことをかつて私と比べられないくらい深く行ったのが、吉村昭である。彼は昭和40年代に、明治29年の明治三陸地震、昭和8年の昭和三陸地震の証言を記録し資料を収集した。その結果がこの『三陸海岸大津波』(原題は『海の壁――三陸沿岸大津波』)である。  本書には昭和三陸地震を経験した子どもたちの作文が載っているので、一つ紹介したい。 〈  つなみ 尋三 大沢ウメ    がたがたがたと大きくゆり(揺れ)だしたじしんがやみますと、おかあさんが私に、 「こんなじしんがゆると、火事が出来るもんだ」  といって話して居りますと、まもなく、 「つなみだ、つなみだ」  と、さけぶこえがきこえてきました。  私は、きくさんと一しょにはせておやまへ上りますと、すぐ波が山の下まで来ました。  だんだんさむい夜があけてあたりがあかるくなりましたので、下を見下しますと死んだ人が居りました。  私は、私のおとうさんもたしかに死んだだろうと思いますと、なみだが出てまいりました。  下へおりていって死んだ人を見ましたら、私のお友だちでした。  私は、その死んだ人に手をかけて、 「みきさん」  と声をかけますと、口から、あわが出てきました。〉(122-123頁)  この文はあどけない少女が書いたような純朴なことばで地震と津波の様子を伝えている。ここで、この作文が7年近く前の3・11での映像や証言とよく似ていることに気づく。いわば、歴史が繰り返されたことが窺える。  私たちは歴史から何も学ばなかったのだ