教養がある人とはどのような人か、という問いには様々な答えがある。ある者は古典文学や芸術、歴史について博識であることだと言う。またある者は品位や人格が優れていることだと言う。いずれにせよ教養人と見られるために多く用いられるのが、昔の作家や政治家や思想家といった有名人たちのことばである。そしてとりわけ欧米人にとっては、古代ギリシア・ローマの名言が重要であり続けた。
本書では、ギリシアとローマの337の名句について、出典や解説を付して紹介されている。前半をギリシアの部、後半をローマの部として、それぞれの名言に見出しをつけて五十音順に並べてある。ぜひ通読することをおすすめしたい。
私の気に入った格言を5つだけ書き留めておこう。
〈〖うまれないこと〗
4 人間にとっては、生まれぬこと、太陽の光を見ぬこそよけれ。
少し病んでいるかもしれないが、感受性豊かな人は共感できる名言だと思う。齢を重ねていくと生をより肯定していき、生の終わりが近くなると逆に死を肯定するというのが、一般的な人間の死生観の変遷だと思う。しかしこれとは別に、「生まれぬこと」は幸福でありよきことであるという考えも、洋の東西を問わず存在し続けて来た。ただバッキュリデスの時代以降、ギリシアやローマ、ヨーロッパ諸国、アメリカでは、生死の議論は退いて、知の主軸はもっぱら死後の救いの話や現世でのあり方、物理世界の解明などの方向へ移っていったが、インドでは生死や苦の感覚を基に、仏教理論を発展させ、改変されながらも中国、朝鮮を経て日本へと渡来した。ところが欧米と同じく現在の東アジアでも、生死についての話題は主流ではない。
〈〖たえる〗
68 現在の難儀もいつの日かよい思い出になるであろう。
海上を放浪するオデュッセウスの一行が、一難去ってまた一難とつづくので、兵士たちが心身ともに疲れ果てて、絶望状態に陥ってしまったとき、オデュッセウスがこう言って彼らを励ます。〉(46頁)
いつか言ってみたいセリフだ。
〈〖きょう〗
49 (今日という)日を摘み取れ。
carpe diem.
ロビン・ウィリアムズが刺激的な英語教師の役を演じた映画『いまを生きる』(1989年)にも出てきた有名な言葉「カルペ・ディエム」である。『詩集』では若い女に詩人が語る言葉のようで、高遠な思想や日常的な感情のみならず、おそらく性的な意味合いも込められていると編者は推察している。
私はこの名言から、「明日のことまで思い悩むな」(「マタイによる福音書」6章34節)という聖書の言葉を連想した。これは衣食についてあれこれ思い悩むなという趣旨の説教の一部であるが、説教の途中なぜか野の草の例を述べる箇所で今日と明日の表現が出現し、それと関連してなのか、「その日の苦労は、その日だけで十分である」で説教は終わる。
おそらく「カルペ・ディエム」的な思想は、遅くともホラティウスの生きていた紀元前1世紀あたりからイエスの生きた時代にかけて、徐々に人口に膾炙していったのではないだろうか。それゆえこのことばは、イエスや彼の弟子たちの言行に多少なり影響を与えることになったと考えられる。考えすぎだろうか。
〈〖せんそう〗
113 あらゆる戦争は、起こすのは簡単だが、やめるのは極めてむずかしい。戦争の始めと終わりは、同じ人間の手中にあるわけではない。始める方は、どんな臆病者にもできるが、やめる方は、勝利者がやめたいと思う時だけだ。
omne bellum sumi facile, ceterum aegerrime desinere; non in eiusdem potestate initium eius et finem esse; incipere cuivis etiam ignavo licere, deponi, cum victores velint.
紀元前に起きた共和制ローマの戦争についての言であるが、かつて我が国が十五年戦争に突入し、泥沼化して敗戦したことや、9.11で米国らがイラク戦争を開始し、終結まで長引いたことなどを思い出して、なるほどと思ってしまう。近年、朝鮮半島情勢が緊張状態を続けているが、双方もこの戦争論を胸に、今後も慎重であり続けて欲しい。
〈〖におい〗
151 いつでもいい匂いをさせている奴は、いい匂いなどしてないのだ。
non bene olet, qui semper bene olet.
どのような文脈で使われたエピグラムなのかは知らないが、これは少し可笑しい。香水の匂い(臭い)をいつも漂わせている人に対して、私は時おり不快に思ってしまうのだが、これはウィットに富んだ批判的警句だ。
2003年1月16日 第1刷発行
編者:柳沼重剛
発行者:岡本厚
発行所:株式会社 岩波書店
印刷:精興社
製本:牧製本
ISBN:978-4-00-321231-2
ホラティウス『詩論』
本書では、ギリシアとローマの337の名句について、出典や解説を付して紹介されている。前半をギリシアの部、後半をローマの部として、それぞれの名言に見出しをつけて五十音順に並べてある。ぜひ通読することをおすすめしたい。
私の気に入った格言を5つだけ書き留めておこう。
〈〖うまれないこと〗
4 人間にとっては、生まれぬこと、太陽の光を見ぬこそよけれ。
バッキュリデス『祝勝歌』第五番160〉(12-13頁)
少し病んでいるかもしれないが、感受性豊かな人は共感できる名言だと思う。齢を重ねていくと生をより肯定していき、生の終わりが近くなると逆に死を肯定するというのが、一般的な人間の死生観の変遷だと思う。しかしこれとは別に、「生まれぬこと」は幸福でありよきことであるという考えも、洋の東西を問わず存在し続けて来た。ただバッキュリデスの時代以降、ギリシアやローマ、ヨーロッパ諸国、アメリカでは、生死の議論は退いて、知の主軸はもっぱら死後の救いの話や現世でのあり方、物理世界の解明などの方向へ移っていったが、インドでは生死や苦の感覚を基に、仏教理論を発展させ、改変されながらも中国、朝鮮を経て日本へと渡来した。ところが欧米と同じく現在の東アジアでも、生死についての話題は主流ではない。
〈〖たえる〗
68 現在の難儀もいつの日かよい思い出になるであろう。
ホメロス『オデュッセイア』第十二歌212(松平千秋訳)
海上を放浪するオデュッセウスの一行が、一難去ってまた一難とつづくので、兵士たちが心身ともに疲れ果てて、絶望状態に陥ってしまったとき、オデュッセウスがこう言って彼らを励ます。〉(46頁)
いつか言ってみたいセリフだ。
〈〖きょう〗
49 (今日という)日を摘み取れ。
carpe diem.
ホラティウス『詩集』第一巻11.8〉(105頁)
ロビン・ウィリアムズが刺激的な英語教師の役を演じた映画『いまを生きる』(1989年)にも出てきた有名な言葉「カルペ・ディエム」である。『詩集』では若い女に詩人が語る言葉のようで、高遠な思想や日常的な感情のみならず、おそらく性的な意味合いも込められていると編者は推察している。
私はこの名言から、「明日のことまで思い悩むな」(「マタイによる福音書」6章34節)という聖書の言葉を連想した。これは衣食についてあれこれ思い悩むなという趣旨の説教の一部であるが、説教の途中なぜか野の草の例を述べる箇所で今日と明日の表現が出現し、それと関連してなのか、「その日の苦労は、その日だけで十分である」で説教は終わる。
おそらく「カルペ・ディエム」的な思想は、遅くともホラティウスの生きていた紀元前1世紀あたりからイエスの生きた時代にかけて、徐々に人口に膾炙していったのではないだろうか。それゆえこのことばは、イエスや彼の弟子たちの言行に多少なり影響を与えることになったと考えられる。考えすぎだろうか。
〈〖せんそう〗
113 あらゆる戦争は、起こすのは簡単だが、やめるのは極めてむずかしい。戦争の始めと終わりは、同じ人間の手中にあるわけではない。始める方は、どんな臆病者にもできるが、やめる方は、勝利者がやめたいと思う時だけだ。
omne bellum sumi facile, ceterum aegerrime desinere; non in eiusdem potestate initium eius et finem esse; incipere cuivis etiam ignavo licere, deponi, cum victores velint.
サルスティウス『ユグルタ戦記』83.1〉(134頁)
紀元前に起きた共和制ローマの戦争についての言であるが、かつて我が国が十五年戦争に突入し、泥沼化して敗戦したことや、9.11で米国らがイラク戦争を開始し、終結まで長引いたことなどを思い出して、なるほどと思ってしまう。近年、朝鮮半島情勢が緊張状態を続けているが、双方もこの戦争論を胸に、今後も慎重であり続けて欲しい。
〈〖におい〗
151 いつでもいい匂いをさせている奴は、いい匂いなどしてないのだ。
non bene olet, qui semper bene olet.
マルティアリス『エピグラム』第二巻12.4〉(150頁)
どのような文脈で使われたエピグラムなのかは知らないが、これは少し可笑しい。香水の匂い(臭い)をいつも漂わせている人に対して、私は時おり不快に思ってしまうのだが、これはウィットに富んだ批判的警句だ。
書誌情報
『ギリシア・ローマ名言集』2003年1月16日 第1刷発行
編者:柳沼重剛
発行者:岡本厚
発行所:株式会社 岩波書店
印刷:精興社
製本:牧製本
ISBN:978-4-00-321231-2
関連書籍
ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝』ホラティウス『詩論』
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