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1. つんく♂『「だから、生きる。」』

ぼくは、つんく♂の作る曲が大好きである。乙女チックな日常と、地球、宇宙、世界、人生、平和、歴史、愛とが繋がっている歌詞。たとえそれがいくらデタラメでも、自在に操られたメロディーとリズムとハーモニーで、たちまちつんくワールドへ吸い込まれてしまう。

 2015年4月4日、母校・近畿大学の入学式にサプライズとして現れたつんく♂は、喉頭がんの手術で声帯(喉頭)を全摘し、声を失ったことを初めて明かした。このニュースはテレビや新聞などで大々的に取り上げられ、ぼくもその日のNHKニュースですぐに知り、衝撃を受けた記憶がある。
 つんく♂といえば、シャ乱Qのボーカルで、彼がプロデューサーとして手掛けたモーニング娘。などのアイドルが、今世紀初頭に一世を風靡したことは、現在20代以上の日本人なら誰もが知っていることだろう。
 そんなつんく♂が、2014年の10月に声を失ったのだ。なんという悲劇。あんなに歌にこだわりを持っていたつんく♂が、もう永遠に歌えなくなるとは。

 本書は、つんく♂が2014年の2月に喉頭がんの診断を受けてから、トモセラピーによる放射線治療、分子標的薬による抗がん剤治療、完全寛解(かんかい)宣言、喉頭全摘手術、近畿大学入学式までの一連の過程について記されている。同時に、1992年の上京からモーニング娘。の誕生、ハロー!プロジェクトの発展、井出加奈子との出会いから結婚、父親になり子育てに勤しむ様子など、彼の前半生が笑いあり涙ありで綴られている。ハロヲタ(ハロプロのファン)ならぜひ一読すべき内容だろう。
 そういうぼくもハロヲタの一人なのだが、本書で見つけた興味深いエピソードをいくつか紹介しよう。

 まず一つ目は、スマイレージ(現・アンジュルム)のインディーズ3rdシングル「スキちゃん」の歌詞について。結婚して子どもを持ったつんく♂は、「妻は家を守って」という守旧的なスローガンから「ジョンとヨーコみたいに」へと、子育てに積極的に関わり家族との時間を増やすという「人生レボリューション!」を果たした。それから「たまの休日にフードコートでラーメン食って、スーパーで買い物してポイントためるのも、実はロックじゃないか! といつの間にか思うようになっていた」(156頁)らしく、「フードコート」という言葉が歌詞に入ったとのこと。またモーニング娘。の「気まぐれプリンセス」の歌詞中の「寂しい乙女心を今日も甘いアイスで癒され」も、妻とのケーキのやり取りから着想を得たのだそうだ。
 ハロヲタの中には感づいている人もいるだろうが、ここではつんく♂自身によって、結婚・子育ての前後で自らの書く歌詞の内容が変化したことを明かしている。「作詞・作曲:つんく」の背後にある彼の人生に色々と思いを巡らすのも楽しそうだ。

 二つ目は、つんく♂にとって、2014年10月5日のモーニング娘。のニューヨーク公演を自身の人生の岐路だと思うほど重要視していたことだ。このMorning Musume。'14 Live Concert in New Yorkは、8代目リーダー道重さゆみ卒業への良い餞(はなむけ)である一方、つんく♂の音楽活動の集大成でもあったという。
 つんく♂は、2014年3月4日から7週間にわたって放射線治療と抗がん剤治療を受けたのもむなしく、その後徐々に喉の腫れに違和感を持ち、9月末に生検をした。出発直前には医師から窒息死もありうるといわれ、妻からもNY行きを反対されるも「男のロマンだ」と説得し、妻子を連れて飛行機に乗り込んだ。14時間のフライトの末、ニューヨークのホテルに着いた直後、病院からの電話により喉の腫れは再びがんによるものであることが判ったのだ。
 そのような中でライブを迎え、「僕の音楽がアメリカのニューヨークの真ん中で流れている。愛弟子たちが無心で歌ってくれている」(88頁)とつんく♂は涙する。翌日、その後のニューヨークでの予定を全てキャンセルして帰国し、すぐに入院、各種検査、気管切開手術、声帯全摘手術を行い、声を失ったのだ。なんと劇的なターニングポイントだろう。

 三つ目は、大森望による書評にも書いてあるが、つんく♂が2014年をもってハロプロの総合プロデューサーを降りたのは、がんになって彼の音楽に対する考え方が変わったからではないということである。2013年の秋頃にアップフロントグループの会長から総合プロデューサー引退の提案を受けたことがきっかけだったのだ。「僕としてはまだまだ続ける気も、展望も大アリだったし、モーニング娘。も方向転換したばかりだったので、もっと形にしたかったけど、会長曰く『ここらへんでちょっと休養を取ったほうがいいだろう。喉の調子も良くなさそうだし』と。」(212頁)
 ただつんく♂は、シャ乱Qとして上京した頃からお世話になっている山﨑直樹会長には、本当に感謝しているとのことである。
 今後は作詞・作曲をする一作家としてハロプロに参加し、特にモーニング娘。はサウンドプロデューサーとして携わっていくことになるという。「今でもハロプロを心から愛している。」(214頁)

 他にも、結婚に関して秋元康から「プロデュースは、教え子と結婚してこそ完結だから」(114頁)のように言われたこと、2005年の秋頃から原因不明の蕁麻疹(じんましん)に襲われたのがきっかけで、食に対して化学調味料や天然素材を意識するようになったこと、妻の好きなTOKIOとの家族ぐるみでの心温まる交流など、おもしろいエピソードが盛りだくさんだ。

 今春から『朝日新聞』朝刊において、「あなたへ 往復書簡」というコーナーが毎週土曜日に文化・文芸面で載るようになった。4月1日から5月6日までの6週間にわたっては、同じ東大阪市出身のふたり、つんく♂と山中伸弥とのやり取りが掲載された。この往復書簡を読んでいると、つんく♂の思考回路が垣間見えておもしろい。
 たとえば4月15日付の3通目の内容を少し挙げてみよう。
 「僕の貫くべきVisionはたった一つ、ロックスピリッツです」、「ロックとは何もない所からモノを作り出したり、今の形に一つ、個性を足したり引いたりして新しいサウンドに進化させていくことだと思うんです」、「途中でつまずいた時、迷った時はいつも頭の中で『どう解決するのがロックだろう』と考えます。全てをロックに置き換えると、判断しやすいんです。ロックというVisionが僕の道を作ってくれる。僕の音楽を進化させてくれる。」
 『「だから、生きる。」』にもたびたび出てくるつんく♂のロック脳が、ここでも改めて確認できる。

 つんく♂は直観の人である。一応リズム論などを語ってはいるものの、往復書簡を読んでも明らかなように、彼の発言からは論理性や頭の良さのようなものが感じられない。しかしそれが徹底的であるからこそ、彼の作品には何か惹きつけられるものがあるような気がする。いまの段階では上手く説明できないが、このことはいずれ深く考えてみたい。

 かつてベートーヴェンは音が聞こえなくなってから、あの『交響曲第9番』や『ミサ・ソレムニス』などの名曲を生み出した。声を失ったつんく♂は、苦悩の中でこれからどのような歌を世に送り出すのか。

「声は失いましたが、僕の挑戦は終わりません。昨夏から家族でハワイに移住しました。日本と行き来しながら、エンターテインメント界で世界に役に立つことはできないだろうかと、考えています。」(「往復書簡」1通目)

 つんく♂の後半生に胸が膨らむ。

書誌情報

『「だから、生きる。」』
著者:つんく♂
発行者:佐藤隆信
発行所:株式会社新潮社
2015年9月10日 発行
印刷所:大日本印刷株式会社
製本所:加藤製本株式会社
ISBN:978-4-10-339591-1

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