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8. 柳沼重剛『ギリシア・ローマ名言集』

教養がある人とはどのような人か、という問いには様々な答えがある。ある者は古典文学や芸術、歴史について博識であることだと言う。またある者は品位や人格が優れていることだと言う。いずれにせよ教養人と見られるために多く用いられるのが、昔の作家や政治家や思想家といった有名人たちのことばである。そしてとりわけ欧米人にとっては、古代ギリシア・ローマの名言が重要であり続けた。  本書では、ギリシアとローマの337の名句について、出典や解説を付して紹介されている。前半をギリシアの部、後半をローマの部として、それぞれの名言に見出しをつけて五十音順に並べてある。ぜひ通読することをおすすめしたい。  私の気に入った格言を5つだけ書き留めておこう。 〈〖うまれないこと〗 4 人間にとっては、生まれぬこと、太陽の光を見ぬこそよけれ。 バッキュリデス『祝勝歌』第五番160〉(12-13頁)  少し病んでいるかもしれないが、感受性豊かな人は共感できる名言だと思う。齢を重ねていくと生をより肯定していき、生の終わりが近くなると逆に死を肯定するというのが、一般的な人間の死生観の変遷だと思う。しかしこれとは別に、「生まれぬこと」は幸福でありよきことであるという考えも、洋の東西を問わず存在し続けて来た。ただバッキュリデスの時代以降、ギリシアやローマ、ヨーロッパ諸国、アメリカでは、生死の議論は退いて、知の主軸はもっぱら死後の救いの話や現世でのあり方、物理世界の解明などの方向へ移っていったが、インドでは生死や苦の感覚を基に、仏教理論を発展させ、改変されながらも中国、朝鮮を経て日本へと渡来した。ところが欧米と同じく現在の東アジアでも、生死についての話題は主流ではない。 〈〖たえる〗 68 現在の難儀もいつの日かよい思い出になるであろう。 ホメロス『オデュッセイア』第十二歌212(松平千秋訳)  海上を放浪するオデュッセウスの一行が、一難去ってまた一難とつづくので、兵士たちが心身ともに疲れ果てて、絶望状態に陥ってしまったとき、オデュッセウスがこう言って彼らを励ます。〉(46頁)  いつか言ってみたいセリフだ。 〈〖きょう〗 49 (今日という)日を摘み取れ。 carpe diem. ホラティウス『詩集』第一巻11.8〉(105頁)  ロビン・ウィリアムズが

7. 戸部良一・寺本義也・鎌田伸一・杉之尾孝生・村井友秀・野中郁次郎『失敗の本質』

今から70余年前、日本は十五年戦争に負けた。ではなぜ敗戦したのか。資源の不足、無謀な開戦、兵站の軽視、米国の陰謀など、様々な理由が現在に至るまで語られてきた。たしかにこれらの説明はそれぞれ納得できる部分があろう。しかし本書では失敗の本質をあえて、日本軍という組織に求めようと試みる。  年の数え方にはその国のあり方が反映されている。我が国は古来より、他の漢字文化圏の国々と同じように元号が用いられてきた。また神武天皇の即位したとされる年を元年とする皇紀何年という紀年法も明治から敗戦まで使われていたことから、日本が天皇中心の国家であり続けてきたことが窺える。  ところで、神武天皇即位紀元とバトンタッチするようにして戦後広く普及した紀年法として、西暦がある。これはイエス・キリストが生まれた翌年を元年(紀元)とするものであるが、明治になって西洋を見習えということになってから徐々に用いられるようになり、第二次世界大戦後に一般化したようだ。  以上のように、現在の日本で使われる紀年法は元号と西暦であるが、実はもう一つあるのではないか。「戦後」という年号が。  今年は戦後72年である。しかし巷では未だに先の大戦の話をしている。朝鮮の従軍慰安婦、南京大虐殺、首相の靖国神社参拝等々。また米軍基地問題や領土問題、昨今話題になりつつある核兵器保有問題など、国の安全保障に起因する問題の多くは先の大戦の結果に起因している。つまり私たち日本人は戦後ずっと大東亜戦争のことを議論し続け、これからも当分は敗戦国の民であることを前提として政治を考えなくてはいけないのである。そのような意味で私たちはアジア・太平洋戦争についてよく学ばない限り、現在の状況の多くを理解できないし、またこれからのことを実質的に考えることもできないのである。  今回取り上げる『失敗の本質』は、旧日本軍の組織が実際の作戦でどう機能したのかについて、特に失敗した作戦の結果を研究・分析し、戦中から戦後にかけて変わることのない日本の組織の弱点について考察し、それに対する処方箋を出している。 目次 序章 日本軍の失敗から何を学ぶか 一章 失敗の事例研究  1 ノモンハン事件――失敗の序曲  2 ミッドウェー海戦――海戦のターニング・ポイント  3 ガダルカナル作戦――陸戦のターニング・ポイント  4 インパ

6. 萩原清文『好きになる免疫学』

アレルギーはなぜ起こるのか。一度はしかに罹ったりワクチンを打ったりすると、なぜもう罹らないのか。一方でインフルエンザのワクチンはなぜ何度も打たなくてはならないのか。これらの謎を解くキーワードが「免疫」なのである。  風邪にかかる。つまり風邪ウィルスが体内に侵入する。すると体内の細胞が風邪ウィルスを攻撃する。そして風邪が治る。この一連のプロセスが免疫だ。  では、この免疫のしくみを顕微鏡から少し覗いてみよう。キーワードは「自己」と「非自己」。  風邪などの外部からやって来たウィルスを倒すのは、マクロファージやB細胞と呼ばれる体内の白血球だ。しかしこれらの白血球だけでは、ウィルスを倒せない。彼らにウィルス撃退を指令し、援助する役割を担うのがヘルパーT細胞だ。  まず、マクロファージやB細胞が我々の細胞を食べる。その際にその細胞の断片をヘルパーT細胞に見せびらかす(抗原提示)。この提示された細胞片について、ヘルパーT細胞は自己の細胞か否かを調べ、非自己であると認識した際に、サイトカインという物質を放出するのだ。このサイトカインを受け取ったマクロファージやB細胞、あるいはキラーT細胞がウィルスや感染した細胞を次々に殺害するのである。  ちなみに、他人の臓器を体内に移植した場合に拒絶反応を示すのは、移植された臓器を免疫が「非自己」と認識・判断し、攻撃してしまうからだ。  臓器移植の問題もあるが、別のやっかいな問題も起きる。このような免疫のしくみが、自己の細胞を攻撃してしまうのだ。これがアレルギーの正体なのである。  そもそも細胞において「自己」と「非自己」を決めるのは何か。外部からやってきたウィルスは、体内の細胞に寄生する。そして細胞内で増殖する。その際、その細胞核の遺伝子を改ざんしてしまう。この際に「自己」が「非自己」になる。  ではなぜウィルスに感染していない「自己」の細胞を免疫が攻撃してしまうのか。これは免疫細胞に問題がある。  免疫細胞は体内で作られるが、そのプロセスにおいて「自己」を攻撃しないようにしている。例えばT細胞は、胸腺と呼ばれる臓器でつくられるが、そこでは約97%ものT細胞が殺される。「胸腺学校」は怖いのだ。  以上のようなことは、本書を読めば誰でも語れるようになる。また本書は医学部の参考書にも指定されていると聞いたこと