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6. 萩原清文『好きになる免疫学』

アレルギーはなぜ起こるのか。一度はしかに罹ったりワクチンを打ったりすると、なぜもう罹らないのか。一方でインフルエンザのワクチンはなぜ何度も打たなくてはならないのか。これらの謎を解くキーワードが「免疫」なのである。

 風邪にかかる。つまり風邪ウィルスが体内に侵入する。すると体内の細胞が風邪ウィルスを攻撃する。そして風邪が治る。この一連のプロセスが免疫だ。

 では、この免疫のしくみを顕微鏡から少し覗いてみよう。キーワードは「自己」と「非自己」。

 風邪などの外部からやって来たウィルスを倒すのは、マクロファージやB細胞と呼ばれる体内の白血球だ。しかしこれらの白血球だけでは、ウィルスを倒せない。彼らにウィルス撃退を指令し、援助する役割を担うのがヘルパーT細胞だ。
 まず、マクロファージやB細胞が我々の細胞を食べる。その際にその細胞の断片をヘルパーT細胞に見せびらかす(抗原提示)。この提示された細胞片について、ヘルパーT細胞は自己の細胞か否かを調べ、非自己であると認識した際に、サイトカインという物質を放出するのだ。このサイトカインを受け取ったマクロファージやB細胞、あるいはキラーT細胞がウィルスや感染した細胞を次々に殺害するのである。
 ちなみに、他人の臓器を体内に移植した場合に拒絶反応を示すのは、移植された臓器を免疫が「非自己」と認識・判断し、攻撃してしまうからだ。

 臓器移植の問題もあるが、別のやっかいな問題も起きる。このような免疫のしくみが、自己の細胞を攻撃してしまうのだ。これがアレルギーの正体なのである。

 そもそも細胞において「自己」と「非自己」を決めるのは何か。外部からやってきたウィルスは、体内の細胞に寄生する。そして細胞内で増殖する。その際、その細胞核の遺伝子を改ざんしてしまう。この際に「自己」が「非自己」になる。
 ではなぜウィルスに感染していない「自己」の細胞を免疫が攻撃してしまうのか。これは免疫細胞に問題がある。
 免疫細胞は体内で作られるが、そのプロセスにおいて「自己」を攻撃しないようにしている。例えばT細胞は、胸腺と呼ばれる臓器でつくられるが、そこでは約97%ものT細胞が殺される。「胸腺学校」は怖いのだ。

 以上のようなことは、本書を読めば誰でも語れるようになる。また本書は医学部の参考書にも指定されていると聞いたことがあるくらい、内容も信頼できる。
 アレルギーに困っている方、幼い子どもを育てている親御さん、リウマチに悩んでいる方、ぜひ読んでみて下さい。

目次

序曲 免疫学――その誕生と謎

第1部 免疫のしくみ――何種類もの細胞たちが演じる体内の劇
第1幕 どうしてカゼが治るのか?
第2幕 私の敵は数え切れない
第3幕 ハシカに二度かかりにくいのはなぜ?
第4幕 免疫はどうして自分を攻撃しないのか?前編
第5幕 免疫はどうして自分を攻撃しないのか?後編

第2部 病気のしくみ――細胞と細胞とのバランスの乱れとしての病気
第6幕 アレルギーの話
第7幕 慢性関節リウマチの話
第8幕 がんと免疫とのせめぎ合い
第9幕 エイズと免疫とのせめぎ合い
間奏曲 体液病理学説の再発見

終幕 生命技法――免疫担当細胞の生い立ちからみた生命の技法

書誌情報

『好きになる免疫学』
著者:萩原清文
発行者:野間佐和子
発行所:株式会社 講談社
2001年11月20日 第1刷発行
編集:株式会社 講談社サイエンティフィク
印刷所:株式会社双文社印刷所・半七写真印刷工業株式会社
製本所:株式会社国宝社
ISBN:978-4-06-153435-1

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