スキップしてメイン コンテンツに移動

14. 苫米地英人『スピリチュアリズム』

霊能者たちの言うスピリチュアリズムには問題がある。その考え方を突き詰めれば、オウム真理教の「ポア」の思想につながってしまうのだ。では正しい教えとは何なのだろうか。

 今年に入り、1995年に始まったオウム事件の裁判が全て終結した。テレビや雑誌ではオウム事件関連の話題が何度か取り上げられていた。オウム事件を追い続けているジャーナリストの江川紹子は、2018年3月26日号の『AERA』に寄せた記事おいて、事件が起きた当時の状況を次のように振り返っている。

〈凶悪事件に関わった者たちも、入信前は、ごく普通の若者だった。むしろまじめに生き方を考える青年たちで、大人たちから見ると「いい子」が多い。
 彼らがオウムに入ったのは、バブル景気のまっただ中。札束が飛び交う金満社会の片隅で、本当の豊かさとは何かを考えたり、精神世界に真の幸せを求めたりする人たちもいた。また、『ノストラダムスの大予言』は売れ続け、テレビで霊能者ブームが起きた。〉(『AERA』2018年3月26日号、32頁)

 そして江川は、警察による捜査には問題があったと指摘し、後世への教育の必要性を訴える。

〈早い時期に捜査が尽くされ、犯人が突き止められていれば、教団はそれ以上暴走するまでもなく、解散となっただろう。松本サリンや地下鉄サリンなどの事件は起こりようがなかった。それなのに、警察の捜査の問題が究明されずに終わったのは、納得しがたい。〉(『AERA』2018年3月26日号、34頁)

〈悲劇を繰り返さず、虚偽情報の拡散を防ぐためにも、オウム事件を通してカルトの怖さや手法を若者たちに伝え、身を守る知恵を得られるようにしてほしい。なぜ教育の場で、そうした情報を提供するようにしないのだろうか。〉(『AERA』2018年3月26日号、34頁)

 地下鉄サリン事件が起き、オウム真理教の幹部らが逮捕・指名手配され、時は21世紀になると、テレビをつければ江原啓之や細木数子といった人たちが頻繁に出てきた。彼らは、視聴者の涙を誘うような話をするが、その世界観はオウム真理教のそれと通じるところがある。
 彼らの言うスピリチュアルとは何であるか。江原啓之は「スピリチュアルな八つの法則」として、次のように示している。

 一 スピリットの法則
 二 ステージの法則
 三 波長の法則
 四 ガーディアン・エンジェルの法則
 五 グループソウルの法則
 六 カルマの法則
 七 運命の法則
 八 幸福の法則

 いわゆるスピリチュアル教の教義として一般的によく言われているのは、この一から七までで、八は江原が足したのではないかと苫米地は見ている。これらについて苫米地は、一はアートマンの思想、二と五は輪廻による階層性、三は気功の気、ヨーガで言うプラーナ、四は守護霊の存在、六は宿業の概念、七はカルマの法則の一部であり、八は単に「愛しましょう」という単純なお布施の法則だとまとめている。

〈以上、これがいわゆる典型的な「霊的真理教」の教義です。基本はヒンドゥー教で、アートマンの生死を超えたアプリオリな連続性とカルマ(宿業)の概念です。もちろんお釈迦様が否定した概念で、これが、自分が努力しても宿命は変えられないというカースト制度を生み出す元凶なんです。〉(58頁)

 このような古代のバラモン教、チベット密教、現代のヒンドゥー教の思想に大きな問題があるのだとしたら、正しい教えとは何なのだろうか。苫米地は本の最後に「補遺」として「ミリンダ王の問い」を引き、次のようなものだと説明する。

〈アートマンが固有永続だからそれが生まれ変わるのではなく、業が引き継がれるから、別な名称・形態をあなたの生まれ変わりと呼ぶことができるという論理です。〉(199頁)

〈私がよく説明するのは、空に向かってツバを吐くと自分の顔に戻ってきますが、まさに因果応報です。業(カルマ)を受けたわけです。今度はツバをもの凄い速度で吐き出して、二〇〇年ぐらいして戻ってきたとします。そのツバを顔に受けた人があなたの生まれ変わりということです。あなたはすでに寿命で死んでいますから、ツバを受けた人は別な人です。でもあなたの業を受けたのだからあなたの生まれ変わりなのです。これが釈迦の論理による生まれ変わりです。つまり、アートマンが永続するから輪廻転生するのではなく、縁起の因果は継続するので、その縁起の対象が生まれ変わりと呼べますよという哲学です。もちろん、誰かが過去にツバを吐いたので、そのツバを顔に受けるためにあなたが生まれてきたのであるという論理でもあります。縁起による業の継続性による生まれ変わり説です。固有なアートマンが継続するからではないという説明です。〉(201頁)

 この説明は少しややこしいが、輪廻転生の考え方を活かしつつ、解脱すれば輪廻しないというウパニシャッド哲学も論理的には活かして、輪廻そのものも業による縁起であると釈迦は説いたと著者は述べている。ただ著者は最後に、スピリチュアリズムを含めあらゆる宗教がその教義を信仰するのに対し、科学は決して信仰せず、自分で打ち立てた考えを自ら批判し懐疑する、決して思考停止しない態度であることを指摘して本を終える。
 懐疑や批判に取りつかれている人は、一転して信仰者のように映ることがある。しかし宗教的な勢力に騙され利用されないためには、憶えておきたい警句だろう。

目次

はじめに 真実のスピリチュアリズムとは
第一章 スピリチュアリズムは「霊的真理教」
第二章 スピリチュアルの誘惑
第三章 究極のスピリチュアルはオウム
第四章 脳と心のスピリチュアル
補遺 科学と宗教
おわりに 生と死とスピリチュアリズム

書誌情報

『スピリチュアリズム』
2007年8月15日 初版第1刷発行
著者:苫米地英人
発行:にんげん出版
装丁:千鳥組
印刷・製本:萩原印刷株式会社
ISBN:978-4-931344-19-8

関連書籍

島田裕巳『中沢新一批判、あるいは宗教的テロリズムについて』
大田俊寛『オウム真理教の精神史 : ロマン主義・全体主義・原理主義』
苫米地英人『洗脳原論』

コメント

このブログの人気の投稿

8. 柳沼重剛『ギリシア・ローマ名言集』

教養がある人とはどのような人か、という問いには様々な答えがある。ある者は古典文学や芸術、歴史について博識であることだと言う。またある者は品位や人格が優れていることだと言う。いずれにせよ教養人と見られるために多く用いられるのが、昔の作家や政治家や思想家といった有名人たちのことばである。そしてとりわけ欧米人にとっては、古代ギリシア・ローマの名言が重要であり続けた。  本書では、ギリシアとローマの337の名句について、出典や解説を付して紹介されている。前半をギリシアの部、後半をローマの部として、それぞれの名言に見出しをつけて五十音順に並べてある。ぜひ通読することをおすすめしたい。  私の気に入った格言を5つだけ書き留めておこう。 〈〖うまれないこと〗 4 人間にとっては、生まれぬこと、太陽の光を見ぬこそよけれ。 バッキュリデス『祝勝歌』第五番160〉(12-13頁)  少し病んでいるかもしれないが、感受性豊かな人は共感できる名言だと思う。齢を重ねていくと生をより肯定していき、生の終わりが近くなると逆に死を肯定するというのが、一般的な人間の死生観の変遷だと思う。しかしこれとは別に、「生まれぬこと」は幸福でありよきことであるという考えも、洋の東西を問わず存在し続けて来た。ただバッキュリデスの時代以降、ギリシアやローマ、ヨーロッパ諸国、アメリカでは、生死の議論は退いて、知の主軸はもっぱら死後の救いの話や現世でのあり方、物理世界の解明などの方向へ移っていったが、インドでは生死や苦の感覚を基に、仏教理論を発展させ、改変されながらも中国、朝鮮を経て日本へと渡来した。ところが欧米と同じく現在の東アジアでも、生死についての話題は主流ではない。 〈〖たえる〗 68 現在の難儀もいつの日かよい思い出になるであろう。 ホメロス『オデュッセイア』第十二歌212(松平千秋訳)  海上を放浪するオデュッセウスの一行が、一難去ってまた一難とつづくので、兵士たちが心身ともに疲れ果てて、絶望状態に陥ってしまったとき、オデュッセウスがこう言って彼らを励ます。〉(46頁)  いつか言ってみたいセリフだ。 〈〖きょう〗 49 (今日という)日を摘み取れ。 carpe diem. ホラティウス『詩集』第一巻11.8〉(105頁)  ロビン・ウィリアムズが...

11. 佐藤優『3.11 クライシス!』

2011年3月11日、戦後日本は危機に陥った。原発事故は作業員たちに対し、敗戦より続いてきた生命至上主義という思想を超えるよう要求した。あの3・11によって、日本の社会と国家は変わるのか。どのように変えるべきか。  2011年3月11日午後2時46分、三陸沖を震源とする日本観測史上最大規模の地震が起き、発生した巨大津波が東日本の太平洋岸を襲った。死者・行方不明者は1万8千人余り。福島の原子力発電所では歴史的な重大事故も起き、いまなお事故状況の調査や損害賠償が続けられている。  最近、東日本大震災や原発事故関連の書籍を読み漁っている。各新聞社が当時こぞって出した写真集を眺めたり、小出裕章の『原発のウソ』や広瀬隆の『福島原発メルトダウン』といった一般向けの原発関連本、それから当時政府にいた菅直人や細野豪志の著書などを読んだ。今回はその中でも、佐藤優の『3.11 クライシス!』を取り上げる。  まず佐藤優という著者について、私は数年前に書店の店頭でその名と顔を知った。ギョロッとした目をしているその顔は、すごく印象に残ったことを憶えている。ただそれからというもの、私は彼の著書をあまり読んでいない。読了したものを挙げると、池上彰との対談本『新・戦争論』と『僕らが毎日やっている最強の読み方』、マルクスの『資本論』の講義録である『いま生きる「資本論」』くらいである。ところが私は、彼の見解や意見を頻繁に見聞している。雑誌とラジオという媒体によってである。  彼の仕事量は凄まじい。私の知る限り、ラジオは文化放送の「くにまるジャパン」やニッポン放送の「高嶋ひでたけのあさラジ!」、雑誌は『週刊東洋経済』や『週刊文春』をはじめとして、手に取った雑誌のどこかには佐藤優のページがあるというくらいの人気ぶりである。その内容は、政治や外交についての時評や本の紹介が多い。外交官だったという経験を活かしたその見識は、外交や安全保障の分野のエキスパートとして現在では宮家邦彦と並んでメディアでは重宝されている。  そんな彼があの東日本大震災を受けて何を考えたのか、その記録が『3.11 クライシス!』である。本書は、3・11直後の3週間に各種メディアで公表された佐藤優の論考集となっている。2章立ての構成になっていて、Ⅰ章はライブドアニュース、つまりインターネットで公開されたもの、Ⅱ章は新聞や雑...

3. シェイクスピア『マクベス』

ダンカン王が殺された。その犯人は、マクベス。3人の魔女の予言に呪われたスコットランド王の悲劇。  正直に白状すると、ぼくは小説や戯曲など文学の類をほとんど読まない。子どもの頃からそうだった。  だが評論や随筆などを読んでいると、往々にして文学的な教養を求められることがある。たとえば「マクベス夫人の手にこびりついた血のように、『アカなるもの』は消去不可能なものとして、この貴公子の目には映っていた」(白井聡『永続敗戦論』225頁)という比喩。  このような表現を理解したり、さりげなく使えたりすると、単純にカッコいい。またそのハイカルチャー的な世界に興味がある。だから少し教養を高めるためにも、今回はシェイクスピアの四大悲劇うち最も短い『マクベス』を読んでみた。  『マクベス』のあらすじを簡単に記す。 テオドール・シャセリオー 画, マクベスと3人の魔女, 1855年  スコットランドの武将マクベスとバンクォーは、手柄を立てて帰還する道すがら3人の魔女に出会う。彼女らはマクベスを「コーダの領主様!」「いずれは王ともなられるお方!」と呼ぶ。一方のバンクォーには「子孫が王になる、自分がならんでもな」と告げる。その後マクベスは、ダンカン王からコーダの領主に任ぜられ、魔女たちの予言が当たる一方で、王は自身の息子マルコムが王位継承者であると公表する(第1幕)。  王になるという魔女の予言にとらわれたマクベスは、夫人にそそのかされつつダンカン王を暗殺し、新しい王になる。ダンカンの息である二人、マルコムとドヌルベインは、安全を求めてイングランドとアイルランドにそれぞれ逃れる(第2幕)。  やがてマクベスは、かつて魔女に「子孫が王になる」と言われたバンクォーが怪しくなり、2人の刺客にバンクォーとその息子フリーアンス殺害を命じる。刺客らはバンクォーを仕留め、フリーアンスは逃がす。その知らせを聞いたマクベスはひとまず安心するも、宮中大広間での晩餐会で、死んだはずのバンクォーの亡霊が自分の席に座っているのを見て発狂する(第3幕)。 テオドール・シャセリオー 画, バンクォーの亡霊, 1854年  心の安定が得られないマクベスは、洞窟で3人の魔女に予言を乞う。すると釜から3つの幻影が現れてこう言う。「気をつけろよ、マクダフに、気をつけろ、ファイフの領主に...