霊能者たちの言うスピリチュアリズムには問題がある。その考え方を突き詰めれば、オウム真理教の「ポア」の思想につながってしまうのだ。では正しい教えとは何なのだろうか。
今年に入り、1995年に始まったオウム事件の裁判が全て終結した。テレビや雑誌ではオウム事件関連の話題が何度か取り上げられていた。オウム事件を追い続けているジャーナリストの江川紹子は、2018年3月26日号の『AERA』に寄せた記事おいて、事件が起きた当時の状況を次のように振り返っている。
〈凶悪事件に関わった者たちも、入信前は、ごく普通の若者だった。むしろまじめに生き方を考える青年たちで、大人たちから見ると「いい子」が多い。
彼らがオウムに入ったのは、バブル景気のまっただ中。札束が飛び交う金満社会の片隅で、本当の豊かさとは何かを考えたり、精神世界に真の幸せを求めたりする人たちもいた。また、『ノストラダムスの大予言』は売れ続け、テレビで霊能者ブームが起きた。〉(『AERA』2018年3月26日号、32頁)
そして江川は、警察による捜査には問題があったと指摘し、後世への教育の必要性を訴える。
〈早い時期に捜査が尽くされ、犯人が突き止められていれば、教団はそれ以上暴走するまでもなく、解散となっただろう。松本サリンや地下鉄サリンなどの事件は起こりようがなかった。それなのに、警察の捜査の問題が究明されずに終わったのは、納得しがたい。〉(『AERA』2018年3月26日号、34頁)
〈悲劇を繰り返さず、虚偽情報の拡散を防ぐためにも、オウム事件を通してカルトの怖さや手法を若者たちに伝え、身を守る知恵を得られるようにしてほしい。なぜ教育の場で、そうした情報を提供するようにしないのだろうか。〉(『AERA』2018年3月26日号、34頁)
地下鉄サリン事件が起き、オウム真理教の幹部らが逮捕・指名手配され、時は21世紀になると、テレビをつければ江原啓之や細木数子といった人たちが頻繁に出てきた。彼らは、視聴者の涙を誘うような話をするが、その世界観はオウム真理教のそれと通じるところがある。
彼らの言うスピリチュアルとは何であるか。江原啓之は「スピリチュアルな八つの法則」として、次のように示している。
一 スピリットの法則
二 ステージの法則
三 波長の法則
四 ガーディアン・エンジェルの法則
五 グループソウルの法則
六 カルマの法則
七 運命の法則
八 幸福の法則
いわゆるスピリチュアル教の教義として一般的によく言われているのは、この一から七までで、八は江原が足したのではないかと苫米地は見ている。これらについて苫米地は、一はアートマンの思想、二と五は輪廻による階層性、三は気功の気、ヨーガで言うプラーナ、四は守護霊の存在、六は宿業の概念、七はカルマの法則の一部であり、八は単に「愛しましょう」という単純なお布施の法則だとまとめている。
〈以上、これがいわゆる典型的な「霊的真理教」の教義です。基本はヒンドゥー教で、アートマンの生死を超えたアプリオリな連続性とカルマ(宿業)の概念です。もちろんお釈迦様が否定した概念で、これが、自分が努力しても宿命は変えられないというカースト制度を生み出す元凶なんです。〉(58頁)
このような古代のバラモン教、チベット密教、現代のヒンドゥー教の思想に大きな問題があるのだとしたら、正しい教えとは何なのだろうか。苫米地は本の最後に「補遺」として「ミリンダ王の問い」を引き、次のようなものだと説明する。
〈アートマンが固有永続だからそれが生まれ変わるのではなく、業が引き継がれるから、別な名称・形態をあなたの生まれ変わりと呼ぶことができるという論理です。〉(199頁)
〈私がよく説明するのは、空に向かってツバを吐くと自分の顔に戻ってきますが、まさに因果応報です。業(カルマ)を受けたわけです。今度はツバをもの凄い速度で吐き出して、二〇〇年ぐらいして戻ってきたとします。そのツバを顔に受けた人があなたの生まれ変わりということです。あなたはすでに寿命で死んでいますから、ツバを受けた人は別な人です。でもあなたの業を受けたのだからあなたの生まれ変わりなのです。これが釈迦の論理による生まれ変わりです。つまり、アートマンが永続するから輪廻転生するのではなく、縁起の因果は継続するので、その縁起の対象が生まれ変わりと呼べますよという哲学です。もちろん、誰かが過去にツバを吐いたので、そのツバを顔に受けるためにあなたが生まれてきたのであるという論理でもあります。縁起による業の継続性による生まれ変わり説です。固有なアートマンが継続するからではないという説明です。〉(201頁)
この説明は少しややこしいが、輪廻転生の考え方を活かしつつ、解脱すれば輪廻しないというウパニシャッド哲学も論理的には活かして、輪廻そのものも業による縁起であると釈迦は説いたと著者は述べている。ただ著者は最後に、スピリチュアリズムを含めあらゆる宗教がその教義を信仰するのに対し、科学は決して信仰せず、自分で打ち立てた考えを自ら批判し懐疑する、決して思考停止しない態度であることを指摘して本を終える。
懐疑や批判に取りつかれている人は、一転して信仰者のように映ることがある。しかし宗教的な勢力に騙され利用されないためには、憶えておきたい警句だろう。
第一章 スピリチュアリズムは「霊的真理教」
第二章 スピリチュアルの誘惑
第三章 究極のスピリチュアルはオウム
第四章 脳と心のスピリチュアル
補遺 科学と宗教
おわりに 生と死とスピリチュアリズム
2007年8月15日 初版第1刷発行
著者:苫米地英人
発行:にんげん出版
装丁:千鳥組
印刷・製本:萩原印刷株式会社
ISBN:978-4-931344-19-8
大田俊寛『オウム真理教の精神史 : ロマン主義・全体主義・原理主義』
苫米地英人『洗脳原論』
今年に入り、1995年に始まったオウム事件の裁判が全て終結した。テレビや雑誌ではオウム事件関連の話題が何度か取り上げられていた。オウム事件を追い続けているジャーナリストの江川紹子は、2018年3月26日号の『AERA』に寄せた記事おいて、事件が起きた当時の状況を次のように振り返っている。
〈凶悪事件に関わった者たちも、入信前は、ごく普通の若者だった。むしろまじめに生き方を考える青年たちで、大人たちから見ると「いい子」が多い。
彼らがオウムに入ったのは、バブル景気のまっただ中。札束が飛び交う金満社会の片隅で、本当の豊かさとは何かを考えたり、精神世界に真の幸せを求めたりする人たちもいた。また、『ノストラダムスの大予言』は売れ続け、テレビで霊能者ブームが起きた。〉(『AERA』2018年3月26日号、32頁)
そして江川は、警察による捜査には問題があったと指摘し、後世への教育の必要性を訴える。
〈早い時期に捜査が尽くされ、犯人が突き止められていれば、教団はそれ以上暴走するまでもなく、解散となっただろう。松本サリンや地下鉄サリンなどの事件は起こりようがなかった。それなのに、警察の捜査の問題が究明されずに終わったのは、納得しがたい。〉(『AERA』2018年3月26日号、34頁)
〈悲劇を繰り返さず、虚偽情報の拡散を防ぐためにも、オウム事件を通してカルトの怖さや手法を若者たちに伝え、身を守る知恵を得られるようにしてほしい。なぜ教育の場で、そうした情報を提供するようにしないのだろうか。〉(『AERA』2018年3月26日号、34頁)
地下鉄サリン事件が起き、オウム真理教の幹部らが逮捕・指名手配され、時は21世紀になると、テレビをつければ江原啓之や細木数子といった人たちが頻繁に出てきた。彼らは、視聴者の涙を誘うような話をするが、その世界観はオウム真理教のそれと通じるところがある。
彼らの言うスピリチュアルとは何であるか。江原啓之は「スピリチュアルな八つの法則」として、次のように示している。
一 スピリットの法則
二 ステージの法則
三 波長の法則
四 ガーディアン・エンジェルの法則
五 グループソウルの法則
六 カルマの法則
七 運命の法則
八 幸福の法則
いわゆるスピリチュアル教の教義として一般的によく言われているのは、この一から七までで、八は江原が足したのではないかと苫米地は見ている。これらについて苫米地は、一はアートマンの思想、二と五は輪廻による階層性、三は気功の気、ヨーガで言うプラーナ、四は守護霊の存在、六は宿業の概念、七はカルマの法則の一部であり、八は単に「愛しましょう」という単純なお布施の法則だとまとめている。
〈以上、これがいわゆる典型的な「霊的真理教」の教義です。基本はヒンドゥー教で、アートマンの生死を超えたアプリオリな連続性とカルマ(宿業)の概念です。もちろんお釈迦様が否定した概念で、これが、自分が努力しても宿命は変えられないというカースト制度を生み出す元凶なんです。〉(58頁)
このような古代のバラモン教、チベット密教、現代のヒンドゥー教の思想に大きな問題があるのだとしたら、正しい教えとは何なのだろうか。苫米地は本の最後に「補遺」として「ミリンダ王の問い」を引き、次のようなものだと説明する。
〈アートマンが固有永続だからそれが生まれ変わるのではなく、業が引き継がれるから、別な名称・形態をあなたの生まれ変わりと呼ぶことができるという論理です。〉(199頁)
〈私がよく説明するのは、空に向かってツバを吐くと自分の顔に戻ってきますが、まさに因果応報です。業(カルマ)を受けたわけです。今度はツバをもの凄い速度で吐き出して、二〇〇年ぐらいして戻ってきたとします。そのツバを顔に受けた人があなたの生まれ変わりということです。あなたはすでに寿命で死んでいますから、ツバを受けた人は別な人です。でもあなたの業を受けたのだからあなたの生まれ変わりなのです。これが釈迦の論理による生まれ変わりです。つまり、アートマンが永続するから輪廻転生するのではなく、縁起の因果は継続するので、その縁起の対象が生まれ変わりと呼べますよという哲学です。もちろん、誰かが過去にツバを吐いたので、そのツバを顔に受けるためにあなたが生まれてきたのであるという論理でもあります。縁起による業の継続性による生まれ変わり説です。固有なアートマンが継続するからではないという説明です。〉(201頁)
この説明は少しややこしいが、輪廻転生の考え方を活かしつつ、解脱すれば輪廻しないというウパニシャッド哲学も論理的には活かして、輪廻そのものも業による縁起であると釈迦は説いたと著者は述べている。ただ著者は最後に、スピリチュアリズムを含めあらゆる宗教がその教義を信仰するのに対し、科学は決して信仰せず、自分で打ち立てた考えを自ら批判し懐疑する、決して思考停止しない態度であることを指摘して本を終える。
懐疑や批判に取りつかれている人は、一転して信仰者のように映ることがある。しかし宗教的な勢力に騙され利用されないためには、憶えておきたい警句だろう。
目次
はじめに 真実のスピリチュアリズムとは第一章 スピリチュアリズムは「霊的真理教」
第二章 スピリチュアルの誘惑
第三章 究極のスピリチュアルはオウム
第四章 脳と心のスピリチュアル
補遺 科学と宗教
おわりに 生と死とスピリチュアリズム
書誌情報
『スピリチュアリズム』2007年8月15日 初版第1刷発行
著者:苫米地英人
発行:にんげん出版
装丁:千鳥組
印刷・製本:萩原印刷株式会社
ISBN:978-4-931344-19-8
関連書籍
島田裕巳『中沢新一批判、あるいは宗教的テロリズムについて』大田俊寛『オウム真理教の精神史 : ロマン主義・全体主義・原理主義』
苫米地英人『洗脳原論』
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